一般社団法人滝川青年会議所
    第58代理事長  松尾 朋哉


      昭和53年5月19日(38歳)
      株式会社マツオ 営業部長

      【JC歴】
        LOM
         2010年 入会
         2011年 誇りあるまちづくり創造委員会 委員
         2012年 ふれあいの名護委員会 幹事
         2013年 名護委員会 委員
         2014年 未来創造委員会 委員長
         2015年 専務理事
         2016年 会員拡大研修会議 議長(常任理事)
        出向
         2012年 (地)復興支援委員会 委員
         2013年 (地)ソーシャル・ストック確立委員会 委員
         2016年 (地)憲法論議・国史教育推進委員会 副委員長



至誠通天
〜次世代に想いを繋げ!〜

【はじめに】
 私が小学生の時に父が滝川青年会議所に所属しており、いつも父の仲間が自宅にいて、1983年に第25代理事長となったときは、特に楽しそうだったと記憶してます。34年が経ち、父はもうおりませんが当時の父の仲間が今もなお見守り支えていただけるこの滝川で「滝川のため」「子どもたちの未来のため」という同じ想いで活動できることを幸せに思います。私も2010年に入会して、たくさんの仲間と出会い共に活動してきました。JAYCEEとして繋がりはどこまでも広く深いものとなり、活動からの学びは仕事やプライベートにおいても活きるものであります。世代は違えども、私たちが行っている青年会議所活動は間違いなく人を成長させるものであり、この活動の想いを次世代に繋げていくことは使命だと感じております。
 1980年に屯田開拓兵村として滝川村が開村し役場ができてから127年、先達が様々な想いのなかで滝川市の歴史を創りました。私たちはどれだけこの歴史を理解しているでしょうか。イギリスの歴史家アーノルド・J・トインビーは「12、3歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と言いました。「民族の神話」とは生まれ育ったまちに住む人にとっての原点であり、先達の歴史や想いだと考えます。その歴史と想いという原点を知らずにいれば、市民としてのアイデンティティはなくなり、郷土愛は育まれなくなるのではないでしょうか。私たちは滝川で生まれ、「滝川のため」「子どもたちの未来のため」と活動してきた先輩諸氏の背中から歴史を学び、愛郷心のもと活動してまいります。また、私たちの活動の一つひとつが積み重なり、滝川の歴史を創っていくものだと確信しております。私たちが滝川の歴史となる活動をするためには、多くの方々からの理解と支援が必要であり、老若男女問わず多くの人々を巻き込む必要があります。その実現には、私たちが大胆かつ謙虚で団結した一枚岩となることが肝要です。想いを一つにした私たちJAYCEEであれば、たくさんの感動を生むことができることを知っています。そして、その活動の先には滝川の活性化への道があり、子どもたちを滝川の未来の開拓者に変える可能性があり、そしてそれらが私たちの喜びとなることを知っています。そのためにも、メンバー一人ひとりが次世代のリーダーとしての責任と自覚を持ち、切磋琢磨して地域のために何ができるかを考え、汗を流し、率先して行動しなければなりません。私一人に大きな力はありませんが、誠意をもってメンバー一人ひとりと向き合い、一人ひとりの想いが成就できるよう、率先して行動し、青年会議所のため、滝川のためにこの一年間を邁進してまいります。

【地域連携のひと・まちづくり】
 青年会議所は「明るい豊かな社会」の創造を理念としたまちづくりの団体です。もちろん、まちづくりは我々青年会議所のみならず、多くの諸団体、先輩諸氏、学生に至ってこの滝川の「まちづくり」のために活動しています。その活動の中で、大人と子どもたちが世代を超えた交流が起こることで、地域の子どもたちのなかに郷土への想いが育つものだと考えます。私たち青年会議所がこの「まちづくり」活動におけるリーダーシップをとり、この地域が一丸となることを目指していくことが必要なのです。昨今の活動の中でも滝川青年会議所が起こした「たきかわ納涼盆踊り花火大会」は、一般、諸団体、学生からのご協力のもとまちづくりの一環として、まさしく理想の形へと近づいてまいりました。地域の子どもたちに、また近隣住民に滝川は「おもしろい」「楽しい」という気持ちを創り、滝川への関心と郷土愛を育てることこそが「まちづくり」なのです。地域の方々が、そして子どもたちが滝川に住み続けていきたいと思える「まちづくり」活動を、滝川への誇りと責任感をもって行ってまいります。
 また滝川の誇りとして、そらぷちキッズキャンプがあります。毎日学校と病院を行ったり来たりで、自由に外で遊ぶことができない小児がんや心臓病を持つ子どもたちが夢を叶えることのできるキャンプ場です。2013年に本格始動から、約80人の難病と闘う子どもたちが笑顔と思い出を創ってきました。全国に約20万人いるといわれる難病指定された子どもたちの一部かもしれませんが、そのうちの一人でも多くが笑顔でいられるよう支援の和を広げられる活動を行ってまいります。

【文化と人が繋がる滝川名護児童交歓事業】
 1974年。開拓の文化北海道滝川市と琉球王国の文化沖縄県名護市との交流が始まりました。まもなく半世紀を迎えるこの事業は、文化と人の交流、そして友情という強い繋がりをもって引き継がれてまいりました。参加する滝川、名護両児童の間に築かれてきた友情は不変のものであり、我々JAYCEEとしての友情と絆も絶えることなく続いております。しかし、時代と共に社会が変化してきました。市内児童の減少と課外活動の多忙化、そして派遣に伴う金銭的負担は高くなり、この事業を構築していくうえでのハードルとなってきているといっても過言ではありません。現実、昨今の派遣における参加児童の減少は深刻なものとなり、受入れとの人数差に家庭泊における対処には両市の受入れ家庭の助力をより一層必要なものとなりつつあります。それでも私たちの使命は、ハードルが高かろうと、両地域の児童たちが互いの文化に触れ、友情と絆を繋げていくことだと考えます。参加した児童たちにとって異なる地域の文化の人と触れ合うことは、地域を超えた広い視野を育て、家族と友情を大切にする愛溢れる心の成長となることを確信しております。そして将来、両児童が滝川市と名護市、また世界各地との懸け橋となりうる人材となることを切望いたします。そこで私たちの役割はその懸け橋の橋げたとして、土台となり支えていくことだと考えます。そしてこの事業が連綿と続けていけるためにも、滝川名護児童交歓事業の意義や素晴らしさを地域の皆様に発信し、関係各所のご協力を賜るとともに創意工夫のもと一人でも多くの市民に参加していただき友情と絆が広がる活動としてまいります。

【会員拡大と外部連携】
 私たちの活動は40歳までという時間に制限があるからこそ、それまでに自分ができることを考え、活動に邁進できるものであります。しかし、現実を見ると60周年を迎える2年の間に10名近い卒業生を送り出すこととなります。私たちの活動は『明るい豊かな社会の実現』のために、何をすべきかを発信するものであり、昨今のデジタル化した社会を見れば、SNSやホームページなどで情報として発信することはできますが、人と人との繋がりの中で想いを伝えることはできません。私たちと共に同じ想いをもって活動する同志を一人でも多く仲間とし、私たちの活動の発信力を高めることが肝要なのです。そこで滝川には近郊も含め多くの青年団体があります。他団体との連携は「まちづくり」の一環とも言えますが、新たな出会いと会員拡大の実現に向けた情報収集を可能としてくれます。また外部団体と連携をとることで、滝川青年会議所の魅力を発信するとともに一人でも多くの人が仲間になりたいと思える活動を行ってまいります。そして近隣各地の会員会議所と共に行う事業や活動において、この会議体が連携を図ることにより新会員の率先した参加を促し、滝川青年会議所内外の交流の中で絆と友情を育む機会を作ることで、青年会議所メンバー一人ひとりが会員拡大に向けての当事者意識を醸成へと繋がることを確信いたします。

【一人ひとりが輝くLOM運営】
 時代時代に必要とされてきた先輩諸氏による青年会議所活動は、地域を巻き込み、地域の信頼と時代を築いてきました。60周年の足音が聞こえ始めるこの年に、我々滝川青年会議所の存在感を今一度多くの地域市民の方々に発信し、必要とされる存在とならなければなりません。そのためにも、まず対外的に我々の事業や活動をSNSやホームページ、マスメディアの発信によって理解と愛着を深めることが重要です。また、対内的には当事者としての認識と責任、覚悟を強固とするべく一層の意思疎通を図ることを行ってまいります。私たち青年会議所が地域に必要とされるよう、そしてメンバー一人ひとりが必要とされ、輝けるよう、誠心誠意さ支えられるLOMの運営を行ってまいります。

【最後に】
 「仕事もJCも何事も、楽しんだ方がいい。」
父がよく母に言っていたそうです。もっと楽しい青年会議所にしたい。そのためには、自分自身が誰よりも楽しまなければならない。自分が楽しくなければ、周りも楽しめない。そのためにもメンバー一人ひとりと手を取りあい、一人ひとりの滝川への想いが叶うよう精一杯支えていきます。そして「明るい豊かな社会」の実現に一歩でも近づけるように、すべてのものに誠心誠意に向き合い新しい歴史を築こうではありませんか。この故郷のために。